久しぶりの村上春樹

今、流行の1Q84 BOOK 1を読みはじめた。ちょっと前までは品切れ状態だったようだが、先日、本屋に行くと、山積みで置いてあった。
まずは、1Q84 Book1を3日ほどかけて読みきった。村上春樹の小説を読むのは、10年ぶりくらい。久しぶりに読んで思ったこと(前から思っていたこと)をつらつらとあげてみる。

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

短い文章

村上春樹の文体は独特なものがある。よく文を読んでみると、一つ一つの文章が非常に短い。小説に登場するふかえりは1センテンスしかしゃべれないという設定になっているが、まさしく、1センテンスで文が作られている。
きっと、この書き方が村上春樹の文体を独特に感じさせるのだろう。ちゃんと読むと、主人公とその他の登場人物では文の作られ方が違うのかもしれない。そのあたりも気をつけて、Book2を読んでみたい。

ちょっとづつわかる

村上春樹の小説はちょっとづつわかっていくようになっている。登場人物の特徴、登場人物同士の接点、出来事の接点。
1Q84を読んでて思ったことは、物語の構成が世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)に非常に似ている、ということ。Book1を読み終えて、村上春樹の本の紹介ページを見ると、一番はじめに世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドが掲載されていた。やはり似ているからだろうか。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

主人公は受身

村上春樹の小説に出てくる主人公は非常に受身だ。今風に言えば、草食系と言うのだろう。1Q84も例外にもれず、受身だ。主人公を取り巻く登場人物が何かアクションを起こすことにより物語が進む。村上龍の小説に出てくる主人公と比べると非常に対象的だ。村上龍の小説に出てくる主人公は恐ろしいほどアクティブだ。主人公がアクションを起こすことにより、物語が進む。
受身の主人公に起きる様々な出来事。気分が落ち込んでいるときは心地よい。

ふかえり

これってやっぱり「くまえり」から来ているのだろうか。語呂がいいから選んだんだと思うが。その他にも、オウム真理教っぽい宗教団体が出て来たりもする。
多少なりとも、影響はありそうだ。なんか、このあたりはすごく俗っぽく感じる。個人的にはそう言った出来事を想像させないような作りにして欲しかったりする。

1984年くらいの年代が好き

2009年に1980年代?という気がしたが、村上春樹はこのくらいの時代が好きなのだろう。恐らく、この年代には自信があるのだろう。
今時なら、携帯電話やパソコンなんかを皆が使いこなし、いつでもどこでも繋がる。こう言った背景は、村上春樹には向いていないんだろうな。

小説に音を持ち込む

1Q84に出てくる音楽はシンフォニエッタ。音楽が重要な位置を占めるところなんかは、ノルウェーの森に似ている。
私はノルウェーの森に触発されてビートルズを聞きだした。同じように、シンフォニエッタを聞き始める人が増えるのだろう。
村上春樹は小説に音を持ち込む。これが小説に独特な雰囲気を出しているように思える。聴覚だけでなく、視覚に訴えることもしているのだろうか。2つの月とかかなぁ。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

サブタイトルは文章

サブタイトルは非常に奇妙だ。村上春樹がその章で一番言いたいことがサブタイトルになっているのだろう。
と言いつつ、ギリヤーク人がいったいどれほど物語に関係するのかはまだわからない。Book2を読んでも関係ないかもしれないが、サブタイトルに出てくるくらいだから何か意味があるのかもしれない。

変わった性癖

村上春樹の小説に出てくる登場人物は変な性癖を持っていることが多い。そして性に対してすごくオープン。
10代の頃はそう言った文に心が乱れたが、30代になると普通に受け止められる。10代の人はどんな気分で読んでいるのだろうか。

Book2を読むにあたって

Book2を読むときは次のことを意識しながら読んでみる。

  • 主人公と他の主人公とでは文体は違うのか
  • 視覚に訴えることをしているのか
  • ギリヤーク人は物語の鍵を握るのか

最後に

次は1Q84のBook2。楽しみながら読めそうだ。