何故、島田紳助は芸能界を引退したのか

23日の夜に島田紳助の引退会見があった。
引退の理由は暴力団との関係があったからだそうだ。しかし、紳助はその関係については否定的だった。恩義ある人に必要最低限の挨拶をしているだけだという認識だ。
紳助側に立てば、どこが悪いのかまったくわからない。敢えて、紳助側に立たないとすれば、どんな些細な関係であろうが、関係があることに関わりはない。芸能界において、暴力団との関係がタブーなのであれば、それはあってはいけないことだ。
しかし、私は紳助が引退することについては非常に残念だし、そこまでの責任を負う必要はないと思う。暴力団と些細な関係があるだけで、引退をしなければいけないほどの罰を自分に与える必要があったのだろうか。
紳助が引退しようと思った経緯を私なりに考えてみる。もちろん、これは私の推測に過ぎず、まったく意味のない検証であるが、同じような立場にある人にとっては意味があるものになるかもしれない。
一つの理由としては、紳助自身が前から引退の仕方については模索していたのではないかと考えた。紳助が思っていたより早い次期であったが、このタイミングで引退を決意した。引退については、24時間TVの後に放送された行列でも紳助自身が語っていた。「24時間マラソンは、徳光が芸能会を引退するにあたって、最高の舞台だった。このような舞台を提供してもらった徳光は芸能人としては非常に恵まれている。とても幸せな芸能人生だと思う」と。
あと、よく言われている理由としては、暴力団と関係している以上のどす黒い問題を隠蔽するため。これについては、下世話な話すぎて、個人的にどうでもいいので割愛する。
その他の理由としては、仮に謹慎になったとした場合、紳助はその謹慎期間に耐えられないと思ったのではないだろうか。謹慎に耐えて、その後、復帰するには非常にタフでなければならない。世間のバッシングを浴び、それをはねのけるだけのモチベーションが必要となる。そのようなモチベーションを持つことができないと紳助は思ったのではないだろうか。這い上がるためのモチベーションは人ぞれそれだ。例えば、お金が必要、道半ばであきらめるわけにはいかない、まだまだ未練がある、など。紳助のように完成に近づいた人にとっては例えにあげたようなモチベーションはなんの力も持たのかったのであろう。耐えるよりは潔く止めることが一番楽な道だったのではないだろうか。
いずれにせよ、紳助には引退して欲しくなかった。私を含め、たくさんのファンが紳助に元気付けられてきた。紳助のいないTVは面白くないものになることは間違いない。
このような偉大な人物が去っても世の中は流れていく。首相が変わっても何も変わらない。最近、なぜか、このようなことに憤りを感じることがある。
唯一、痛快だったのは、今朝の新聞。次の首相を決める代表選に前原が出ることより、紳助引退の方が一面であったこと。このことは国民に影響を与えている人が誰かを明確にした。